日曜の連載6

2019年6月16日 /

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 3回生になり築間陣先生の設計論が始った。さすがに初日は人気殺到で授業開始時間ぎりぎりに入室した万吉は、当然だが教室の後ろで立ちながら説明を聞いた。授業に先立ち先輩から築間先生の噂を聞く。採点が厳しく、最後に単位を頂けるのは2〜3人との事だ。噂は3回生の全てに行き渡り、受講を続けるには他の課題とも重なって作業的に難しい。結局2回目の授業に出席したのは万吉を含めて10人を切った。教室の黒板には端からギッシリと建築家の名前が書かれている。課題の内容は、黒板に書かれた建築家から一人を選び、その建築家の作品を一つ選び、図面を再現し、この建築家について論文をまとめる。最後に模型をつくって発表する。万吉は誰を選んでも同じように思っていたので、2回生の最後の課題で参考にした宮脇檀に決めようとしていた。すると、築間先生から「も〜び〜でぃっくを知っているか。」と声をかけられた。どうやら建築の名称らしい。すかさず「それでいけ」と言われ、「はい」と答えてしまった。早速に新建築の別冊の日本現代建築家シリーズ宮脇檀作品集を本棚から引っ張り出し、裏表紙に「も〜び〜でぃっく」を発見。壁が湾曲し、屋根はクジラの背のように畝っている。なるほど白鯨だ。内部の写真や図面などをチェックしてカッコイイなどと耽っていると、ふと我に返って「これをつくるのか?」
 作品集から図面をトレースし、建築家と作品についての意見をまとめた頃、先生から「模型図面をチェックするから持ってこい」と言われる。そもそも模型図面など書いたことがない。今まで模型のための図面の存在も知らずに提出図面を参考に、それなりに模型をつくっていたからだ。先輩に聞いても教えてくれない。おそらく先輩も知らないのだろう。数人が図面をチェックしてもらっている。あまり親しくないので教えてくれない。先生から「こんなことでつくれるのか」と厳しく言われ、万吉は「とにかく来週にはつくって来ます」と宣言した。湾曲した壁は石膏を削りながらつくった。屋根はヒノキ材で骨組みをつくり、和紙を張った。それなりに良くできた模型だと自信があった。築間先生から「よくやった 良いじゃないか」と高評価が出た。万吉は「ありがとうございます」と言ったものの模型図面のことが気になって素直に喜べなかった。この時、非常に興味深い作品が提出された。コルクでつくられた土台から真っ黒な楕円の円柱が伸びたビルディングだ。万吉が衝撃を受けたこの作品は「ノアビル」。白井晟一の代表作で、その後も影響され続ける建築との出会いだった。
 少人数性の授業で万吉は築間先生に名前を覚えられ、研究室に呼ばれた。「建築が好きか」といきなり訊かれる。答えに戸惑っている間に「お前さんはいい建築家になるな」と煽てられた。続けて、事務所に模型をつくりにこないかと誘われた。本来なら喜ぶべき名誉なことであるが、彼は当時大学に行っている暇が無い程、売れっ子アルバイターで非常に忙しかった。讃岐うどん屋でうどんを打ち、ケーキ屋さんで新商品のチーズケーキの開発、パブの生演奏とバックバンド、時々であるが引越屋や植木職人の手伝い、犬小屋の受注製作も受ける、メインのアルバイトはダスコンドーナツでレギュラーを務めていたのだ。そもそも興味の対象は音楽である。少なくとも建築家になりたいなどと考えたことが無い。先生に理由を正直に話すと「ダスキンドーナツと俺と天秤にかけるのか」と厳しい口調で言われ、電話番号と詳しく書かれた事務所の地図のメモを握らされた。設計論の単位どころではない、断ると退学処分にされそうな形相だった。

(本作品はフィクションであり、登場する人物・団体名等はすべて架空のものです。但し、作中で言及している物語の背景の建築や建築家等の人物や団体名は、現実に存在していたり、または過去に存在しておりました。また、原作は2004年4月刊行の「退職届」です。)

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