日曜の連載40

2020年8月16日 /

 築築間陣先生の生まれ故郷は島根県である。日本海に沿って東西に長く伸びたほぼ中央に、出雲風土記の冒頭の国引き神話に登場する三瓶山の麓の海岸沿いで生まれ育った。そして、この県の東の端に位置する松江から講演の依頼があった。築間先生は、この講演を打診してきた生合おさむ氏と公私共に長い付き合いをすることになる。生合さんは地元では建築を通して、ちょっとした有名人であった。地元テレビやラジオに度々登場して、古建築から観光名所などを案内したり、自ら調査して新解釈を発見したりで話の話題は尽きることのないタレントでもあった。
 築間先生がこの講演を快く引き受けたかどうかは分からないが、生まれ故郷の隣町で講演会を行うことになった。当日は嵐で交通機関が乱れ、数時間遅れで開演した。にも係わらず、立ち見席がでる程で最後まで盛り上がりは続き盛況だったと、後に先生の幼友達の同級生から訊いた。もっとも嵐の影響で、帰りたくても帰ることも出来なかったとも言っていた。
 先生が京都に戻って数日後、この生れ故郷から来客があった。島根県邇摩郡仁摩町仁万と字は違うがニマニマニマと続く怪しげな地名。紛れもなく築間陣先生の生地からの使者である。風呂敷に資料を包み、眼鏡をかけ、頭のハゲた、中年の誠実そうな来客は、当時、仁摩町役場の総務課長を務める平政力氏であった。話の内容は「砂の博物館」の相談であった。実はこの話、夏の慰安旅行でこの町に訪れた時に「バカな町長が世界一の砂時計をつくると言ってる」と噂話しを耳にしていた。新鮮なサザエを山のように積んで刺し身やつぼ焼きだとワイワイと騒ぎながらの夕食時の事である。先生も奥さんも「アホな事言うてんな」と笑っていた記憶がある。当然、万吉も笑った。
 平政課長は世界一の砂時計の説明を丁寧にはじめた。どうやら一年計の様だ。同志社大学粉体工学専攻の三輪教授に依頼したという。この粉体工学という分野は、例えば薬の顆粒とかを研究しているとの事。初めて知った学問だ。建築のイメージパースを見せられ、「どがかな(御意見を頂けますか)。」と言う。先生のコメントは覚えていないが、万吉はテーマパークにある偽物ピラミットという印象を受けた。
 先生は慎重であった。奥さんは反対した。そもそも「公共事業は設計料が安いからやらない」と言い切っていた。しかし今回の理由は別にあった。生れ故郷の仕事は「成功して当り前、失敗すると墓参りにも帰れなくなる。」と言うのが本音であった。万吉はかつて仕事を選ぶことをしなかった。「この仕事をやりたい」と態度で示すが、言葉に出したことはなかった。初めての申し出である。そして、この様な直談判はこれが最後であった。

(本作品はフィクションであり、登場する人物・団体名等はすべて架空のものです。但し、作中で言及している物語の背景の建築や建築家等の人物や団体名は、現実に存在していたり、または過去に存在しておりました。また、原作は2004年4月刊行の「退職届」です。)

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