日曜の連載10

2019年7月14日 /

 実は、万吉は石膏像を何度も経験している。小学生の頃に絵画アトリエで習っていた。アトリエの先生は、京都芸術大学の学生。学生先生のお母さんは、名のある画家だったようだ。絵画は絵のサイズで価格が決められるそうだが、その大先生の絵は、そうとう高額だったと万吉は聞かされていた。万吉の家には、大先生が絵付けした団扇が、大事そうに飾られていた。金魚や風鈴などの涼しげな絵柄の中で、万吉の母はキリギリスを選んだ。おそらくカブトムシやクワガタムシがあれば、それを選んだに違いない。学生先生は馬が好きで、万吉を連れて動物園に度々出掛けた。展覧会で発表する絵も、馬がほとんどだった。絵画アトリエではあるが、石膏像や立体はり絵などの工作も行った。石膏の残り水を洗面所やキッチンの排水口に流してしまうと、排水管が詰まる。学生先生は普段見せない厳しい口調で、石膏の残り水の扱いを説明した。学生先生は卒業と同時に結婚してアトリエを閉じた。お母さんの大先生は、万吉が気掛かりで「これからも絵を描きませんか」と言い出し、週一度の指導と春秋ごとの絵画展に出品することを続けさせた。しかし万吉にとって一番の記憶は、石膏の残り水を排水口に流してはいけないと注意する学生先生の心配そうな目だった。
 結局、松井君の硬石膏の試みは後回しで、プレゼンテーションが迫っている模型に取り掛かった。担当は、本体とメインになる顔の部分に分けられた。特に話し合ったわけでもなく、ジャイケンで決めたわけでもない。当然のことのように松井君は顔の部分に取り掛かった。この時に初めて模型図面を見た。トレーシングペーパーに、ピンピンに先を尖らせた6Hの鉛筆で、限りなく厚みのない細い線で描かれた図面だ。平面図を中央に描き、これを4方向に開いていくように作図する。全てのパーツを1枚の図面に描き切る。また、製作方法や組み立ての手順などのアイデアも書き込まれている。これを青焼きで出す。青焼き機に通す向きも示されている。機械のローラーを通る時、紙が伸びる為に方向を一定に揃えるのだ。この図面は「かっこいい」。後に沢山の経験でわかってくることだが、模型製作の時間配分の目安について、掛かる全ての時間の半分が、この模型図面に費やしてしまうことだ。万吉は、山本さんの指導のもとで進めることになった。因みに松井君は、黙々と淡々と手慣れたものだ。大学の課題でも、この様な本格的な模型をつくってきたことが想像できる。手探りと現物あわせでつくってきた万吉との差は歴然とした。年の暮れも近づき模型は無事に完成し、早々にプレゼンテーションが行われた。成果について、今まで1度も誉めたことの無い施主が「奇麗な建物ですね」と喜ばれたそうだ。しかし、先生はそれが気に入らなくて不機嫌であった。最も当時の先生はいつも不機嫌であった。笑った顔を見たことがない。当然だが笑いを誘う冗談も聞いたことがない。因みに、施主は今までの会話で、築間先生の事を「設計屋さん」と言っていたが、この時を境に「先生」と呼ぶようになった。
 不機嫌な先生は突然嬉しそうに帰ってきた。同行していた部さんは「しまった」との表情である。先生の手にはズッシリしたアルミケースと、その中には宇宙空間での活躍実績のある日本製の一眼レフカメラと数本のレンズ。
スタッフの不安は「こんな高級なカメラを買って、我々の年末のボーナスに影響しないだろうか」であった。

(本作品はフィクションであり、登場する人物・団体名等はすべて架空のものです。但し、作中で言及している物語の背景の建築や建築家等の人物や団体名は、現実に存在していたり、または過去に存在しておりました。また、原作は2004年4月刊行の「退職届」です。)

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