日曜の連載13

2019年8月18日 /

 築間ゼミでの指導は他の先生の視点と全く異なったものであった。3年間こんな講義はなかったと言ってもよいだろう。

 建築のストーリー性について、大人になっても漫画を読むだろう。なぜだ?
 建築の空間構成については、形態にはそれぞれ意味があるのだ。何となくカッコイイは建築でないよ。
 建築のシステムについても、機能やアイデアをかたちにする方法をもっと模索しろ。

 「建築って、ひょっとして面白いものなのか?」

 築間先生の事務所の本棚の洋書にあった建築の数々は単に「変なもの」ではなく面白いものなのかと思いはじめた。万吉は、この日を境に建築に取りつかれていく自身をうっすらと感じはじめた。

 当初、卒業制作のテーマは「(仮称)海洋博物館」なる巨大な都市的規模の建築群をイメージしていた。都市の提案はその頃の流行でもあった。築間先生は万吉のスケッチを一目見ただけで、興味がないと言わんばかりに別の話をはじめた。海をテーマにした話ではあるが、文学である。メルヴィルの白鯨を知っているか。モビィ・ディックだ。また「も〜び〜でぃっく」かと万吉は思った。昨年、宮脇檀の「も〜び〜でぃっく」の模型をつくって評価を得たが、それとは全く関係ない。船長が白いクジラに片足を食いちぎられて義足をしている。それも鯨の骨製だ。船長は取りつかれたようにこの鯨に立ち向かう。結末は船とともに沈められるのだが、これを建築にした作品の話を聞かされた。建築とは物語なのか? 建築が物語の舞台装置ではなく、建築そのものに物語が宿ることを言っているのではないかと感じた。
 子供の頃に熱心に読んだ本を何冊か読み返した。図書館で昆虫や魚の図鑑と飼育記録や養殖の研究を探した。丸善にこもって絵本を立ち読んだ。

 一枚の写真を撮る時、そこに写る被写体には物語がある。と聞いたことを思い出した。そこに留まっているんではなく、どこからか此処にたどり着き、少ししたらどこかへ行ってしまうかもしれない。そんなストーリーが一枚の写真に宿っていると。その人は「これは美しい写真だ、だけではつまらないよ」とも言った。
 パースの授業時間のことである。季節感や時間が特定できない方がいいと学んだ。正しいかどうかは別だが、万吉はそのように学んだ。しかし彼は、「季節も時間もなかったら絵が描けない」と主張した。「ならばこの建築が1番輝いている瞬間を描いたらどうだ。その方がカッコイイよ」と言われた。建築に人生を宿らせる。そんなことができるのか? 建築家って、そんなことを考えて建築をつくっているのか? 

(本作品はフィクションであり、登場する人物・団体名等はすべて架空のものです。但し、作中で言及している物語の背景の建築や建築家等の人物や団体名は、現実に存在していたり、または過去に存在しておりました。また、原作は2004年4月刊行の「退職届」です。)

SHARE THIS

ブログ一覧へ

RELATED POSTS