時は同じく、丸部豊和、丸田篤、丸藤忠雄の中之島第三の道展が大阪ソニービルで開催された。表現方法は、真っ白な模型と白黒の鉛筆ドローイングである。ドローイングブームの幕開けであった。欧州ではこの様なドローイングの手法は古くから使われていた。蒸気機関車や船の設計図に影が落とされて立体的に表現された図面は珍しくない。さらに着色された図面もある。
因みに「大阪ソニービル」とは黒川紀章の代表作だ。1階ロビーからエレベーターが途中で止まることなく、心斎橋筋を見下ろしながら最上階に直行する。この最上階ではイベントなどが行われ、中之島第三の道展もこのスペースで行われた。最上階からはエスカレーターで降りていく。エスカレーターの登りはなく、各フロアーに展示された最新のカラーテレビを見比べたり、時代の象徴となった携帯ステレオ音響再生専用音楽プレーヤーなどの製品を手に取りながら、必ず全フロアーを通って1階まで片道通行で降りることになる。後に同じ空間構成で展開される施設が、大阪南港の海遊館だ。エスカレーターで最上階まで上がり、森の水生動物のカワウソなどに出迎えられる。大水槽の水面を漂うジンベイザメを観ながらスロープで降りていく。アジの群れや中層になってナポレオンフィッシュなどを眺めながら一番底のタカアシガニまで、海の様子を断面で切ってスロープでゆるりゆるり下りながら楽しめる。螺旋スロープ建築の本家は、ニューヨークのフランク・ロイド・ライトのグッゲンハイム美術館だ。ちょっと待った、バチカン美術館の方が断然に元祖だった。話は尽きない。
話題はドローイングに戻る。建築について恥もプライドも全く持ち合わせていない万吉は、早速にこのドローイングを真似たことは言うまでもない。しかしこのドローイングは製作に時間がかかり効率が悪い。最近はAサイズの紙が主流だが、この大学ではBサイズでの提出が基本だ。B1サイズまたはB全判と言うが、このサイズを1枚書き上げるのに3週間近く要した。しかし今となってはエアーブラシにロットリングでは面白くないのだ。建築に熱くなることはなかった万吉は、いつの間にか絵を描くことや模型をつくることなどの表現の世界を、面白く感じるようになっていた。彼は、片足が「築間の池」に浸かっていることを、この時はまだ自覚がなかった。
解説:ロットリングとはドイツの筆記具メーカーだが、文中のロットリングはこのメーカーが開発した製図ペンを指す。1970年には魔法のペンと言われて製図の主流だったようだ。しかし1970年代後半の図学の授業でカラス口と言う筆記具が今だに使われていた。また製図道具セットの中に、コンパスやデバイダと共にカラス口の姿もあった。おそらくこの烏口を使い熟す学生は少なかったと思われる。ロットリングはカラス口に取って代わった筆記用具だ。それから間もなく製図の世界は、CADの時代となる。
(本作品はフィクションであり、登場する人物・団体名等はすべて架空のものです。但し、作中で言及している物語の背景の建築や建築家等の人物や団体名は、現実に存在していたり、または過去に存在していたものも含まれています。また、原作は2004年4月刊行の「退職届」です。)