日曜の連載12

2019年8月11日 /

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 4回生は、春から短期の課題を一つ行う。その作品を持ってそれぞれが希望するゼミに向かい卒業制作に取り掛かるといったスケジュールだ。課題のテーマは「溜まり場」。1回生の最終課題と同じテーマだ。万吉は作品タイトルに「渚のバルコニー」と付けて提出した。丸田聖子の代表曲のタイトルということは説明がなくてもわかる。今までもチェリーブラッサム、白いパラソル、夏の扉などを作品名にしてきた。しかし、今回は以前の受けを狙った目的と少々違うようだ。作品の主旨は、ここに訪れるのは人ではなく、風の溜まり場だという。風が訪れ、音を出し、まるで人が戯れているような気配があるバルコニーだという。残念ながらこの作品の評価は低かった。以前なら欠点でなければ良しとしてきたが、万吉は初めて悔しい思いを持った。
 その後、万吉は卒業制作の指導を受けるゼミの説明会に参加した。説明が終わると民主的だという恒例の「ジャンケン」が行われ、万吉は難関を勝ち残り希望通りに「築間ゼミ生」となった。実は築間ゼミにとって今年は重要な年である。グランプリ3連覇がかかっているのだ。各先生方や助手、そしてジャンケンに負けた者から「今年は築間ゼミにグランプリは取らせない」と宣言されるほど厳しくマークされた。
 このころ万吉の興味は早稲田大学に向いていた。最近は全国の卒業制作コンテストがあちらこちらで開催され、記録の書籍なども発行され、他の大学の情報が手軽に入手できる。そのためにテーマの選び方や作風が全国共通になってきた。ところが当時は大学ごとに個性があり、作品を見れば大学がわかるほどである。特に早稲田大学の卒業制作は、竹槍で戦う他の大学の抵抗をものともしないアメリカの爆撃機の様な圧倒的な力があった。強さの影には、作品に費やす資金の差が大きかったのも事実である。万吉はこのアメリカに勝ちたかった。
 アメリカと言えば、万吉のメインアルバイトのダスコンドーナツの故郷である。彼は、本社ダスコンでドーナツについて話す機会があった。「温暖な気候と肥えた大地が育んだ大量の小麦粉をふんだんに使い、油で揚げたドーナツは力のアメリカそのものである。対して、厳しい気候の中で育てた大切な小麦を、希望とともに大きく膨らませ、クリームと夢を詰めこんだシュークリームはヨーロッパの芸術である。」と語った。まるで想像力に富んだヨーロッパ人を高評価し、力任せのアメリカ人を低く見た言い方である。ダスコンの創業者である会長は「アメリカ大陸の東の海に辿り着いた開拓者は、先住民のインディアンを相手に西に西に銃を持って戦った。そして西海岸に辿り着いた開拓者が得たものは、豊かな大地だけではない。数千年といったヨーロッパやアジアのそれと比べることは出来ないが、彼らにとって掛け替えのない『歴史』を手に入れたのだ。これからのアメリカは力だけじゃない。建築を勉強しているのなら摩天楼を見るといい。君はきっとアメリカ人を好きになるよ。」と語られた。
 後に、万吉はエンパイヤステートビルディングの前で、言葉を亡くし鳥肌が全身を覆う感激とともに、その時既に亡くなられていたダスコン会長の言葉を再び思い出した。エントランスホールの3方向に飾られた正方形の金属プレートに刻まれた言葉に「クラフトマンシップ」という単語に目が止まった。そこには、アメリカンスピリッツや日本魂の隔ては欠片もなく、我々が最も大切にしなければいけない「ものづくりの精神」があった。

 話は卒業制作に戻す。万吉は低評価の「渚のバルコニー」を持って築間研究室の扉を叩いた。評価が低かったので、恐る恐る作品の説明を行った。築間先生は、「タイトルのことはともかく、面白い」と話を切り出した。さらに「タイトルも良く無いが、かたちも良くない」と付け加えた。いったい何が面白いのだと即座に反応するのが普通だが、更に「ここも良くない、この部分も詰めが甘い、言いたいことが面白くない」など、不思議な批評に聞こえたが「風のバルコニーなんだろ、良いじゃないか」で締めくくられた。万吉は何も言えない間に、次のゼミ生の作品の講評に移った。

(本作品はフィクションであり、登場する人物・団体名等はすべて架空のものです。但し、作中で言及している物語の背景の建築や建築家等の人物や団体名は、現実に存在していたり、または過去に存在しておりました。また、原作は2004年4月刊行の「退職届」です。)

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