日曜の連載20

2019年10月6日 /

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 万吉は築間陣建築設計事務所のスタッフとなったが、香川下宿の居候生活は1ヶ月間続いた。もっともその間、徹夜が殆どで車の中の仮眠生活が主体である。学生時代と同じだ。
 予約していた下宿は事務所から自転車で10分程の距離で、仲介のフシミホームから「3月中旬には空くだろう」と言われた。ところが20日を過ぎても連絡はない。彼は25日を過ぎた頃にフシミホームに問い合わせ、月末に担当者と下宿を見に行った。下宿を前に2人で唖然と棒立ち。土煙をあげて騒音とともにユンボという掘削用建設機械の油圧ショベルがクビを激しく振りまわす。目の前の光景は紛れもなく「取り壊し」に違いない。フシミホームの担当者は大家さんを探すが、行方不明。暫くすると学生が駐車場で目を丸くしている。下宿中の学生で、春休みなので実家に帰っていたが、アルバイトの都合で早く戻ってきたのだという。フシミホームの担当者は「とにかく仮宿を探します」と言われ、万吉は怒ることも出来ずに仕事場に向かった。帰る途中、「あの学生の荷物はどうなっているのだろうか。解体屋さんがどこかに預かっているのだろうか。」などと他人の心配をしていた。
 次の日、フシミホームの担当者は候補を2物件もって来た。1つは京阪電車の伏見稲荷の近くで、事務所からは少し距離があるが、芸大への通勤には都合が良い。万吉は4月から副業に母校の助手を決めていた。
 木造2階建てで、1階が大家さんの自宅で、2階の4室が下宿になっている。小さな沓脱ぎ場と踊場の無い細い階段が2階にのびている。空いている部屋は2階の中央で、4畳半1間の押し入れ付き。コンセント1箇所と中央に丸形の二段蛍光灯の照明器具が付いていた。大家さんが「照明器具は使ってくれても、買い替えてくれてもいいよ」というので、たぶん前の住民が残していった物だと推測がつく。扉は薄い木製でカギは力づくで開く事ができそうな軽微な物であった。外気に面した窓は無い。協同便所と協同洗濯場が廊下を挟んで部屋の前に有り、物干場も使っていいようだ。敷金と礼金はフシミホームが保証するようで、私は家賃の1万円を大家さんに支払えば本日からでも入居できると言う。フシミホームは良心的な不動産屋であると、万吉は好印象を持った。これ以上香川さんに迷惑をかけれない事と、1日も早く宿は必要である。2つ目の物件を見ることなく万吉は即決した。
 その夜、部屋の中央に布団を敷いて東側に枕を置いた。久し振りの布団の感触を味わいながら、改めて不安が込み上げてきた。

(本作品はフィクションであり、登場する人物・団体名等はすべて架空のものです。但し、作中で言及している物語の背景の建築や建築家等の人物や団体名は、現実に存在していたり、または過去に存在しておりました。また、原作は2004年4月刊行の「退職届」です。)

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