日曜の連載34

2020年6月28日 /

 万吉は独立の準備に入った時、東京から仕事の声がかかった。紹介者はイタリア家具の販売とおしゃれな生活を提案する会社の当時本社部長のU氏である。築間陣建築設計事務所にとって初の東京進出でもあり、担当に選ばれたのは、おしゃれなスタッフだった。しかし手強そうな施主と建築の規模を考えるといささか不安であったのか、万吉に声が掛かった。彼は、独立を考えている時期でもあったが、最後の奉公と覚悟した。実のところこの仕事には大きな魅力があった。
 施主が言う、「建築は坪単価200万ぐらい掛けないと、良いものは出来ないよな」と。当時の相場は、コンクリートの建築で坪単価100〜120万ぐらいであったので魅力だ。
 更に施主が言う、「高いめしを食ってもらうんだからさ、インテリアは豪華なほうが良いんだよ。でもさ、京都の先生なんだから落ち着いた感じでお願いできますか」。先生と私は顔を見合わせ、その時先生は明らかにニヤリと喜んでいた。

 当時の計画名は「ダラス倶楽部」。社長はアメリカが好きなようで、ホテルマンを経験して今があると聞く。毎日10キロの荷物を背負って10キロ走ると言う。万吉はこの時、ケインとアベルを思い出し、アベル・ロフノフスキーのイメージと重ねた。ダラスの暑い日をイメージしたいと施主は最後に付け加えた。バブルの幕開けであった。
 設計料は当時の我々の設計金額を考えると、垂涎の金額に思えた。しかし帰って早々奥さんに胸を張って報告すると工事金額を訊かれ、予想坪単価と規模から計算すると設計料の比率は過去最低であった。我々は金額に驚いて了承したのだ。「あんたら2人で行くと、ロクな事ないな。金銭感覚がなさ過ぎる。」と叱られた。あんたらとは、先生と万吉である。この事務所は奥さんから見て、ロクでもない者の集まりだったのかもしれない。ともあれ、事務所始まって以来の高金額の設計料には違いなく、作業は開始された。

(本作品はフィクションであり、登場する人物・団体名等はすべて架空のものです。但し、作中で言及している物語の背景の建築や建築家等の人物や団体名は、現実に存在していたり、または過去に存在しておりました。また、原作は2004年4月刊行の「退職届」です。)

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