日曜の連載7

2019年6月23日 /

 万吉は、早速ダスコンドーナツの本部マネージャーに相談した。このマネージャーは以前にインテリア会社を営んでいたそうで、訳あって今の仕事をしていると言う。建築の世界には建築家と言い、一級建築士よりも偉い人がいるのだと言う。「丸崎新の北九州市立美術館には度肝を抜かれた」と熱っぽく語り「こんなチャンスは二度とないぞ」とダスコンドーナツの仕事のことはそっちのけで「修行に行け」と薦めるしまつだった。築間陣は当時雑誌に載ってもカラー印刷のページはなく白黒誌面で、丸崎新ほど有名ではない。ほんとうにチャンスと言えるのだろうか、とブツブツと考えながら、結局他のアルバイトも断る羽目になった。年末の稼ぎ時の事で、生演奏についてはスーパースターの夢が遠のく事を覚悟しての決断である。芸大の先輩からは羨ましがられた。しかし父親は「学生の時くらいは建築家の夢を見るのも良いだろう」と言い、母親からは「先生から声がかかったのは光栄な事やよ」と皆さん無責任におもしろがっている様である。決心がつかぬ間に、なんとなく周辺の声に押されて先生に頂いたメモを持って京都に向った。
 電車を何度も乗り継ぎ、京都に入ってさらに乗り継ぐ時には「随分と遠くにきたもんだな」とシミジミ思った。メモに書かれた駅は、向いのホームまで線路を横切るスタイルで映画の別れのシーンに出てくるような雑草の生えた石積みのホームだ。駅前には酒屋さんがあり、周辺は稲刈りが終わった田んぼと九条ネギの畑が広がる田舎風景だ。後に地下鉄の総合乗り入れとともに改札は陸橋スタイルで近代化される。駅から土の道を歩き先生の事務所に向った。途中、幾十にも重なる真っ黒な瓦屋根の農家を「大きな家だな」と覗き込んだ。広い土間の玄関と、数台の農機具が置かれた農作業小屋が見えた。そんな住宅街やオフィス街に程遠いのどかな景色を2〜300m程度歩いて先生の家に到着した。
 事務所の前で出迎えて頂いたのは京都大学3回生の田池さんであった。年齢は1つ上だが万吉と同じ3回生の学生であり、この事務所のスタッフだそうだ。名刺を持っていた。事務所はコンクリート打ち放しである。今でこそコンクリート打ち放しも市民権を獲得したが、当時は珍しかった。万吉の通う芸大は全て建築学科長のコンクリート打ち放し作品なので見慣れた風景だった。何が慣れているかと言うと、一般の人の当時の反応は、仕上げ工事をする前の工事中に見えたのだ。「兄ちゃんこの家、いつ完成するねん」とよく言われたものだ。2階以上は住居で1階が事務所になっている。外部階段の下をくぐり黒い鉄の扉を開けると半地下になっていて、棚には本がビッシリと奇麗に並んでいる。先生の代表作で、後に新人賞を獲得する作品の粘土で造られた模型とその玄関ホールの見上げ写真。精密につくられた白い模型。万吉が設計演習でつくる模型などガラクタに見えるほど美しい模型たちだ。アーム式のドラフターが3台と窓際に平行定規の製図板が壁に向って並んでいる。他のスタッフは現場に出払っていた。奇麗に掃除された緊張感漂う空気の中で、田池さんから仕事を説明された。後に築間陣先生が海外で高い評価を得る切っ掛けとなった作品の模型製作である。

(本作品はフィクションであり、登場する人物・団体名等はすべて架空のものです。但し、作中で言及している物語の背景の建築や建築家等の人物や団体名は、現実に存在していたり、または過去に存在しておりました。また、原作は2004年4月刊行の「退職届」です。)

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