引き渡し前日の夜、バケツに雑巾をいれて現場に入った。施主が大階段の中央から外を眺めている。「掃除します」と挨拶すると「可愛いですか」「嫁入りですね」と言われ外に出ていかれた。暫くすると一升瓶と湯飲み2つ持って帰ってこられた。音楽の話しをされた。京都に来てはじめてギターが恋しくなった。そして直ぐに一升瓶は空になった。
雑誌掲載で写真家のアテンドをする。建築文化の撮影で来て頂いた大橋さんのアングルは特に印象深かった。この建築は「全てが絵になる建築ですね」と言っておられた。近くの壊れかけた火の見やぐらに、重いカメラ機材を持って昇られた。「2人昇って壊れると危ないから」と言って1人で昇られた。瓦で埋め尽くされた大海原に、白いコンクリートの船が浮かんでいるような絵になった。
建築文化の掲載が決まった。原稿を書く機会をいただいた。何度もの書き直しに業を煮やした先生から「この原稿は誰に読ませるつもりで書いているのだ」と怒鳴られた。建築文化は全国の建築関係者や学生に読まれる雑誌である。しかし先生は「例えば親であるとか、恋人であるとか・・・」
書いた相手は卒業設計で競った、今は岡山に帰った友人にである。文章は、先生に殆ど書き直され、唯一残った「焼けた瓦が・・・」と言う文面も「焼けた瓜が・・・」に間違って掲載された。「詩的な文章だ」と誉められたが、間違いは嬉しくない。しかし、岡山の天才に伝えたかった。「1つ、つくったぞ。」
(本作品はフィクションであり、登場する人物・団体名等はすべて架空のものです。但し、作中で言及している物語の背景の建築や建築家等の人物や団体名は、現実に存在していたり、または過去に存在していたものも含まれています。また、原作は2004年4月刊行の「退職届」です。)