日曜の連載38

2020年7月26日 /

 ここは札幌すすきの。雪が積る部分を最小限に抑えた無表情なビルディング。無表情が故に、夜は光で飾る。北海道の雪はパウダー状なので、笠木やサッシュの枠に溜まらないと訊いていた。しかし、昼よりも明るいに違いないこの街の光は北海道の中でも例外であった。少しの突起にも雪が積もり、昼光や照明熱で溶けては深夜に凍る。いつの間にか氷柱は大きく育ち、地上に歩く人を脅かす。従って、建物は凹凸(おうとつ)の無い、平板なものになる。
 そんなビルディングに挟まれて、ギョロッとした2つの眼と湾曲した御影石の基壇に据えられた、キラキラした2本の光の塔がある。恐竜の骨格のような複雑に曲げられた鉄パイプの骨組みを、透明硝子の皮膚をまとい、そこには花柄の入れ墨が掘り込まれている。
 この建築は恐らく当時の築間建築の中で最高の施工精度を誇っていた。理由を分析すると、
1.「予算があった。」バブル期の真っ最中だ。誤解があると関係者に申し訳ないので補足すると「現在よりは」と言う方が良いかもしれない。更にバブルで全てが高騰していたので施工者が特別に儲けたわけではない。
2.「大胆な提案が認められた。」天井高さが通常の2倍。2眼レンズの様な曲げ硝子(サターン曲げと言う)。大きな炉に板ガラスを平置きし、重りを数カ所に置いて曲げていくのだ。当然重りの場所を間違えると綺麗な球面にならない。2つの曲げガラスのために7つものダメ出しが出た。当然その費用も工事金額に含まれる。窓ガラスの塔の硝子も局面でエッチング加工(入れ墨)が施されている。湾曲した基壇だが、御影石で、内アールの加工だ。手仕事で割って、削って、磨く。安い要素はない。
3.「建築に集中できた。」設計者が金額交渉を行なわなくても良かった。設計委託金の交渉、施工者の選定と施工金額の交渉、追加予算の査定等々の交渉などを、施主代理のマネージメント担当が行った。そのお陰で建築に集中することが出来たのだ。設計者はほとんど金の心配が無かった。
4.「工期に余裕があった。」北海道の冬は厳しく外部の工事は全くできない。契約時が冬に差し掛かっていた。従ってその時間に施工図で十分な検討を行なう事が出来た。着工前に全ての施工図が出来上がり、施工者とのディスカッションが1通り終わって春の着工を向えることができた。
5.「緊張感が最後まで続いた。」建築の規模が比較的に小さくて、細部まで神経が行き届いた。
6.「施工者が築間陣の大ファンになった。」現場所長は勿論のこと、施工会社のトップに近い方でありながら我々の窓口をして下さったO氏も、築間陣と建築に敬意を持って接した。
 以上が思いつく成功の理由である。「金」と「時間」がある。更に「信頼」もあった。このような恵まれた仕事は、夢のようである。

(本作品はフィクションであり、登場する人物・団体名等はすべて架空のものです。但し、作中で言及している物語の背景の建築や建築家等の人物や団体名は、現実に存在していたり、または過去に存在しておりました。また、原作は2004年4月刊行の「退職届」です。)

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