この大学の建築学科では、夏休みに3回生と2回生の合同課題が出される。3回生が手先となる2回生に声を掛けたり、2回生が優秀な3回生に志願したり、とにかく単位を獲得するためだけにチームを組んだりと、チームの編成方法や理由については学生達に任されていた。4人から7人程度で登録を行うのだが、途中でメンバー交代も仕方なく認められた。理由は「デザインの意見がまとまらないから2つに分断させてほしい」と言った作品つくりに積極的な主張は良いのだが、「アルバイトが忙しくて働かないからチームから外したい」や「実家に帰ってしまって一緒に作業ができない」などの身の上相談を持ち込む学生もいた。
作業の内容は、夏休みの間に敷地の調査やデザインに必要な資料取集などの準備を行い、夏休みの終盤から図面やパース、模型などの製作に取り掛かる。万吉は1回生なのでこの課題には関係ないのだが、世話になっていた2回生の先輩から手伝うようにとの指示が出た。この芸大では卒業制作などのイベントを下級生が手伝う事を伝統としていた。先輩から図面の表現方法や、模型の製作技術や材料の知識、パースのテクニックなど多くのことを学べるので進んで参加した。もっとも貧乏学生にとって、残った模型の材料などを頂けることと、手伝っている間は「めしに有り付ける」ことの方が嬉しかった。
しかしこの合同課題において、1回生の夏から手伝いに狩り出されたのは珍しい。アルバイトも休みを取らされ、先輩の下宿にカンヅメにされた。物騒な言葉だがこれは「拉致」だ。その間、外出を申し出たが許可されず、仕方なく1度だけ脱走を試み逃げ出した。夏休みも終わり、提出が目前に迫った9月の中頃のことである。万吉にとって設計演習の単位より大切な音楽。この日は、太陽の塔を背に大阪万博お祭り広場で行われたイーグルスのコンサートである。70年代ロック界のナンバーワンヒットと言われるホテルカリフォルニアから3年、ニューアルバム「ロング・ラン」を引っさげての来日公演だ。残念なことは、オリジナルメンバーのベーシストが77年に脱退したので、彼の演奏姿が見れないことと、高音が美しい歌声が聴けないことだ。
Tシャツ、トレーナーにGパン姿の5人組が夕暮れの薄暗いステージに表れた。ドラムの前に横1列に並ぶ3人のギタリストとベーシスト。音合せなのか、始まったのか、チクッ・チクッ・チクッ・チクッ・とギターのカット音が心臓の鼓動と同調する。ステージの一角に青い照明が当てられ、ツインネックの12弦ギターから「ホテルカリフォルニア」のイントロが流れコンサートは始った。アンコールは全員総立ちの「テイクイットイージー」。ある者はオープニングで「真っ赤な夕日が眩しかったぜ」と言う。またある者は夜空を見つめて「ステージから吹いてくるカリフォルニアの風を感じるぜ」と言った。「おまえはカリフォルニアの風を知ってんのんか」「ええ感じなんやから、ちょっと黙っててくれへんか」と心地良い大阪弁が飛び交った。この日の天候から、彼らの心に映し出された真っ赤な夕日が本当にみれたのかは、定かでない。
(本作品はフィクションであり、登場する人物・団体名等はすべて架空のものです。但し、作中で言及している物語の背景の建築や建築家等の人物や団体名は、現実に存在していたり、または過去に存在していたものも含まれています。また、原作は2004年4月刊行の「退職届」です。)