日曜の連載8

2019年6月30日 /

 その日は作業をすることなく本棚の建築洋書をお借りして先生の帰りを待った。本には見たこともない建築が・・・ある。ロッシ、クリエ、グレーブス、スカルパなどなど・・・。「何だこれは」の世界だ。建築家は絵描きなのか? 建てなくても建築家なのか? 建築家とは設計屋さんではないのか? 誰がこの絵を買うのだ? 大学の先生の趣味か? ほんとに職業か?  衝撃が次々迫る中、我が大学の昨年卒業制作グランプリ保持者の山本正治さんが帰ってきた。卒業制作のタイトルは「斎場」。迫力とともに暗い雰囲気が漂っていたが、山本さんの印象は更に暗い。その後、部達さんが帰ってきた。部さんは1回生の時から建築学科でトップを走り続け、実力は疑うことなく芸大トップであった。万吉が一回生で手伝った2〜3回生の合同課題も、ソーラーハウスを抑えて1等賞に輝いている。授業で好成績をおさめるだけでなく、関西にとどまらず関東からも建築家を招きセミナーを企画するなど、常に建築学科のリーダー的存在でもあった。ところが、最後の卒業制作だけが残念な結果になった。どうやら建築家を目指す芸大の学生は、この設計事務所のスタッフになることを登竜門としていたようだ。
 先生が帰ってきて夕食の後、お酒を飲ませて頂いた。ブルーのベッチン袋の金色の紐が解かれて、高級そうな洋酒が取り出された。先生が自らみんなの氷の入ったコップに酒を注ぎ、酒瓶は再びベッチンの袋に返された。銘柄を覗き見る余裕はない。毎日夜になると酒を飲みながら仕事をするらしい。日課だそうだ。そしてこの時、おつまみが出た。後に田池さんと親しくなってからの話しだが、彼はこの事を根に持っていたと言う。「模型の天才」と言う前置きはさて置き「おつまみが出た」事についてだ。当初多くの学生が出入りしていて「酒でも飲んでいけ」と声を掛けられることがあっても、おつまみが出る待遇は初めてだったようだ。「こいつは何者だ」と京都大学のプライドが許せなかったのだ。飲会は辛い時間になった。酒を飲むが暗いのだ。まるで叱られている様で呼吸困難になりそうであった。本日は一旦帰る予定だったが誰も帰っていいとも何も言ってくれない。とにかく会話が無い。「この事務所は自分で決めるんだよ」と部さんの言葉で、万吉は事務所を脱出して辛うじて最終電車に飛び乗った。大阪ミナミまで辿り着き、ライブ演奏でお世話になっていた心斎橋の以前のアルバイト先で始発電車まで時間を潰した。これが万吉の築間陣建築設計事務所に訪れた初めての永い一日だ。
 2日後、宿代わりの車に、登山家の友人から貰った寝袋を積んで京都に向った。当時の愛車は日本製ではあるが高級スポーツカー。実を言うと万吉は貧乏学生ではなかった。アルバイトの月収は当時の大卒初任給を遥かに超えていた。当時の学生は、冬はスキーに夏はサーフィン。「趣味は?」と聞くと「海外旅行」と言うのが流行だった。因みに、万吉はアルバイトが忙しくてお金を使う時間がなかったものだから、もっぱらギターと車にお金をつぎ込んだ。

(本作品はフィクションであり、登場する人物・団体名等はすべて架空のものです。但し、作中で言及している物語の背景の建築や建築家等の人物や団体名は、現実に存在していたり、または過去に存在しておりました。また、原作は2004年4月刊行の「退職届」です。)

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