日曜の連載11

2019年7月21日 /

 プレゼンテーション後、松井君は早々に福井へ引上げた。築間先生は、彼の帰り際に「石膏像は次でいいよ」と声をかけた。万吉は粘土の建築模型を見上げて「助かったな」って心で呟いた。万吉は先生お気に入りのカメラで模型撮影を行なったり、山本さんが担当していた住宅の模型製作、年末の大掃除等で事務所に居着いた。アルバイト先に関して、冬休みは学生のアルバイターが足りているので、万吉に助けを呼ぶ連絡はなかった。
 事務所では、電話をとって「築間陣建築研究所です」と出て、「何を研究するんだ。」と先生に叱られ、留守中のメモの汚さに叱られ、車の運転が丁寧すぎてイライラすると叱られた。模型の天才と言われてここに来た当時が懐かしく思うほど、万吉は叱られてばかりである。唯一誉めてもらったのはダスコン仕込みの掃除と、コーヒー専門店で学んだコーヒーを入れた時くらいであった。特に模型撮影は煙草の煙の中で夜通し行われ、万吉がアングルを決めて先生がチェックする。OKが出るまで何度も繰り返し、その後に露出やシャッタースピードを設定する。この間に先生はレリーズを握りしめたまま放さない。そして最後に先生がレリーズを押す。因に写真の権利はシャッターを切ったものに与えられるのだ。途中先輩方はふらふらになって外で休憩する。万吉は呼吸困難になるほどの煙草の煙と緊張感の中で最後まで耐えた。慌ただしく年末が迫りクリスマスのイベントもなく万吉は実家に戻った。
 万吉は初詣を兼ねて正月早々に京都に向かった。事務所のテーブルに少し小さめの模型が置かれていた。年末につくった模型の敷地形状と同じなので、最終案だとすぐにわかった。先生が自らつくられたという。シルバーに塗装され、今までの作風とは全く違うとスタッフは言う。しかし「今にも動き出しそうだ」「地面にそっと置いたようだ」など、模型がシルバーであることを覗いて万吉の感じた印象は以前の作品と同じシリーズに見えた。その後プレゼンテーションを終えて、春には無事に着工した。
 万吉は元の生活に復帰したものの、演奏に関しては仕事の声が掛からなかった。ちょうど世間では生演奏で歌う場が少なくなり、取って代わって「カラオケ」を置く飲み屋が急増していた頃である。また音楽の世界も大きく動いていた。中学生の頃から大好きだったカーペンターズやイーグルスがラジオから聞こえなくなり、何曲も続けてマイケルジャクソンの楽曲が流れた。隣駅の改札のすぐ前にあったレコード店の店主は、カーペンターズ・カレンのことを「この子の声は、私が知る中で一番綺麗ね」と言っていたのを懐かしく思う。更に、手打ちうどんのバイト先は閉店し、洋菓子店のチーズケーキ開発チームも一段落を終えて解散した。アルバイト先を次々と失くし、唯一ダスコンドーナツだけが彼を迎えた。そして、学業については無事に4回生に進んだ。

(本作品はフィクションであり、登場する人物・団体名等はすべて架空のものです。但し、作中で言及している物語の背景の建築や建築家等の人物や団体名は、現実に存在していたり、または過去に存在しておりました。また、原作は2004年4月刊行の「退職届」です。)

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