日曜の連載21

2019年10月27日 /

 仕事始めを4月から3月に繰り上げたのは築間先生の海外出張が原因で、その間の事務所の店番が必要であった。当時のスタッフ数は5名、理由は部屋に製図板が5台しか入らなかった。従って万吉は5人目の所員である。昨年まで先生は部屋の中央で仕事をしていたが、万吉の入所で2階に席を変えてしまった。当時の現場は、後にファラオと命名される丸野歯科医院の1物件だけであった。5人も食っていけるのか。もっとも、万吉と香川さんは無給なので心配無用だ。
 万吉の初仕事はこの「ファラオ」の竣工写真を撮ることだった。「先生から写真が得意だったな」と言われ、迷わず「プロ級です」と応えた。実はハッタリである。高価なプロフェッショナルフィルムをニコンF3に装填し、マシンガンの様にシャッターを切る。晴れていると直ぐに現場に向った。36枚どりを50本は使っただろう。その中で先生の講演会の為に、数枚が選ばれた。1物件でこれだけ多くシャッターを切ると、偶然にも数枚は良い写真がある。更に、バカでも写真が上手くなる。
 雑誌掲載の為に東京から写真家がやって来た。当然のように万吉がアテンドした。古館克明氏だ。カメラのジェラルミンケースを持てと言われた。片手で持つといきなりゲンコツが飛んできた。ケースのフタが閉まっているかを確認して、肩にストラップをかけて、初めて持ち上げるのだ。
 外観の撮影を行った。道路を跨いで撮影する。信号機はない。車を止める。道路使用許可など取るはずはない。道路の中央で大きく手を広げて車を止める。命懸けである。
 内部の撮影を行う。床にキズや汚れがつかないように三脚の足に靴下を履かせる。三脚を立てカメラをセットしてカメラの位置から指示が出る。テーブルや椅子などのレイアウトを整える。ほとんどの場合は、写真に写らない場所に移動する。照明の調整をする。白熱電球と蛍光灯の種類を確認する。後に店舗の場合はハロゲンランプのチェックも加わる。掃除をする。手でカーペットの目を揃える。そして写真家の後に立つ。元舞台写真家の古館氏の厳しい指導の元で写真の勉強をさせて頂いた。後に写真家のアテンドをする機会を何度も得たが、写真家の後に立てと言われることは無かった。寧ろカメラの後に立つことだけを、全ての写真家は嫌った。
 そして、万吉は古館氏のアテンドをするごとに腕を上げ、築間陣の専属写真家として事務所の椅子を一つ獲得した。

(本作品はフィクションであり、登場する人物・団体名等はすべて架空のものです。但し、作中で言及している物語の背景の建築や建築家等の人物や団体名は、現実に存在していたり、または過去に存在しておりました。また、原作は2004年4月刊行の「退職届」です。)

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