日曜の連載22

2019年11月3日 /

 万吉がスタッフになって直ぐの4月末に築間陣の初の作品集「ワークス」が出版された。昨年の夏に徹夜しながら描いた、万吉のドローイングも掲載され、作画スタッフに名を連ねている。先生から記念にサイン入りの1冊が贈呈された。万吉はそれを次の日、実家へ送った。
 相変わらず無給であり、そろそろ蓄えも亡くなってきた。親に援護を求めないと決めて家を出たので、今更は頼めない。金がないと建築は無理かと思いかけていた時、収入は思わぬところから入ってきた。大学の教員をしていたので少々。失業保険から少々。機械設計の特許料が少々。合せるとけっこうな大金になる。金は天下の回り物と言うが「天が、神が、私に建築を続けろと言っている。」と万吉は思った。
 夏はボーナスの話しも無く過ぎようとした時、先生の奥さんは万吉のひもじい生活に同情して念願の給料を出した。先輩方は「こいつに給料を出すのなら、俺にボーナスを出せ」と言う。私は初給料の4万円を握り締め「こいつらはライバルだ」と改めて確認した。

 万吉の生活の不安は若干解消されたが無駄遣いはできなかった。この頃の主食は「食パンの耳」。近くのスーパーで時々売られ、値段は1袋15〜20円と記憶している。バターやジャムを付けて食べる。色々なパンの耳が入っているので、味で上下の見分けがつくようになった。1斤110円から220円までの5段階の利きパンが出来る。小学校の時も同じような特技があった。オレンジやキーウイなどの果物が珍しい時代に、ハムやウインナー、季節によってはかまぼこやカズノコ等々の見分けが得意であった。当時の万吉は近鉄や高島屋、大丸、そごう等々の百貨店のおもちゃ売り場が遊び場で、腹が減ると地下の食料品売り場の試食コーナーに行って試食をする。そうすると、時々だが陳列されている商品と違う食材を試食品として出していることがある。「このハムは、それとは違う」と指を差して当てるのだ。何とも憎たらしいガキであった。
 昼は決まって、ほっかほっか亭の「のり弁」。後に給料が上がって、友人の結婚式に出席した時、「おまえ、まだのり弁食ってんのんか」と言われ「今はハンバーグ弁当じゃ」と言い、更に服の裏地に張られたラベルを見せて「イッセイ・ミヤケだぜ」と自慢する。友人は「出世したな」と喜んだ素振りを見せたが、本音は面白がっていただけの事だ。しかし、この程度の出世が丁度よい。これ以上に贅沢な振る舞いをすると、友人にとって面白く無くなって、離れていく。夜は王将の餃子定食で給料日にはレバニラ炒め定食を食う。そして次第に酢豚定食が食べられようになった。特にひもじさを感じたことはない。けっこう楽しんでいた。何よりも建築に触れることが出来て、心は誰よりも豊かであった。

(本作品はフィクションであり、登場する人物・団体名等はすべて架空のものです。但し、作中で言及している物語の背景の建築や建築家等の人物や団体名は、現実に存在していたり、または過去に存在しておりました。また、原作は2004年4月刊行の「退職届」です。)

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