(再開)日曜の連載31

2020年6月7日 /

 そろそろ年末の大掃除の準備入ろうかという頃、万吉の生まれ故郷にほど近い繁華街でビルの建て替えの情報が入った。築間陣建築設計事務所は設計依頼先の候補になっているらしい。このビルの最上階であったと記憶しているが劇場名画座があり、彼は白黒のリバイバル映画の3本立てを見に来たものだ。正月休みに、懐かしい思いと現状写真撮影のため現地に向かった。
 ここは道頓堀、戎橋の袂である。幼少のころに、通天閣の新世界や、千日前とともに自転車で走り回った彼の遊び場所である。堀の向いのお店は、入り口の上で大きなカニが足を動かせてお客さんを出迎えている。また橋を挟んだ斜め向いは、マラソンランナーがゴールのテープを切る時の、大きく手を広げたポーズで親しまれている。
 万吉は、ふるさとを口にするほど歳をとっていないが、この生れ故郷の計画に関われることを密かに希望した。クライアントが事務所視察に来られる時もそのつもりで対応した。しかし、視察当日の朝に先生から発表された担当者は、年齢が30を越えていて一級建築士の新スタッフの光田さんである。彼はじめて資格の必要性を意識した。しかしあっさりと担当を諦めるほど素直ではない。視察の時にはクライアントの担当者を案内し事務所の説明等でアピールした。その後に京都市内の作品の案内をする予定も組んだ。しかし車の運転は稲田さんで先生自ら案内の為に車に乗り込んだ。一瞬の隙に車は発車し、万吉は取り残された。
 数日後、クライアントから正式に設計依頼があり、更に担当者のリクエストもあった。先方から担当者に稲田さんが告げられた。理由は作品案内の時の説明がよかったらしい。結果、担当は2人体制で稲田さんと光田さんで行なう事になった。それでも彼は諦めず、実施設計の担当として食い込んだ。途中、光田さんは目の病で担当を辞退し退所した。
 チャンスと思ったが先生が次に指名したのは万吉ではなかった。理由はさて置き、彼が担当を諦めたそんな時、愛知県の三河湾に面した町から、呉服屋さんの本社社屋の依頼があった。

(本作品はフィクションであり、登場する人物・団体名等はすべて架空のものです。但し、作中で言及している物語の背景の建築や建築家等の人物や団体名は、現実に存在していたり、または過去に存在していたものも含まれています。また、原作は2004年4月刊行の「退職届」です。)

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